DP(Director of Photography/撮影監督):映像の画づくり全般を統括する責任者です。
「分かりやすくお願いします」
この言葉が出た瞬間、現場の空気が少しだけ変わることがある。
誰かが悪いわけじゃない。
正しい要望だとも思う。
でも、カメラマンとして横に立っていると、
ある“画面には映らない大切な何か”が削られ始める瞬間だと、はっきり分かる。
最初のテイクは、だいたい少し荒い。
・演者の間や距離感が一定じゃない
・視線が定まらない
・余計な動きが入る
でも、その中に「理由は分からないけど、なぜか残る感触」があったりする。
ところが確認モニターの前で、こんな言葉が重なる。
「ここ、もう少し整理できますか」
「意味が伝わりにくいかも」
「一回、分かりやすくやってみましょう」
そこから、映像は急に“ちゃんとしたもの”になっていく。
・カメラは安定する
・カット割りは説明的になる
・演技は意図通りになる
技術的には、何も間違っていない。
でも、
最初にあった“引っかかり”だけが、どこかに消えている。
分かりやすくなった代わりに、考える余白がなくなっている。
分かりやすさを優先する時、真っ先に削られるのは、だいたいこの3つ。
・ちょっと長い沈黙
・意味の分からない視線
・説明できない間
これらは、コンテにはない、現場で生まれて、現場で消えていくもの。
でも、画面に残ると、なぜか“生きて見える”。
ディレクターは分かっていることが多い。
「今、面白かったのは、分かりにくいほうだよな」
でも同時に、別のことも分かっている。
・誰がチェックするか
・どこで説明を求められるか
・安全な落とし所はどこか
その全部を背負った結果、“分かりやすい映像”が選ばれることになる。
その瞬間を、僕は何度も隣で見てきた。
それは、分かりやすさがゴールになってしまった瞬間だと思っている。
世界観よりも、わかりやすさが優先された結果、映像はただの説明になってしまうと思う。
正直に言うと、できることは多くない。
「さっきのほうが良かったですね」
と軽く言える現場もあるし、
何も言わないほうがいい現場もある。
ただ一つ、意識していることがある。
最初に出た、この目には見えない“分かりにくい良さ”を映そうとする努力を忘れないこと。
理由は単純で、分かりやすさは、あとから何度でも作れるが、
あの瞬間にしか出てこないものが、確かにあるからだ。
僕は思います。
目には見えない“分かりにくい良さ”こそ、本当の魅力だと。
それらは一度しか現れないけれど、画面に映った時、観る人の心に届くものがある。
分かりやすさはあとからでも整えられる。
でも、あの瞬間にしか出てこない、偶然の化学反応のような魅力は、
誰にも作れない、唯一無二のもの。
だから僕は、分かりにくくても、見えなくても、
その良さを映そうとする努力を、絶対に忘れない。
この記事では、分かりやすさとトレードオフで失われていく“目には見えない良さ”について書きました。
これはDPの思考のほんの一部。もっと全体像を知りたい方は、こちらのピラー記事へ。